【SS】 聖夜に願いを捧ぐのは
クリスマスということで、久々にSS書いてみました。
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長編・短編ごちゃまぜ。とりあえず新着順。
かし、かしゅり。
口の中で砕ける果肉。
かりり、くしゅっ。
広がる、甘酸っぱい蜜の味。
悲しき慈母の救済の味、何と甘美に酸いことか…
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すみません! ギャグが書きたかったんです…。
特にターフェアのイメージの崩れっぷりが酷いですので…注意してください。
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「そういえば、先ほど『パーティ』って仰いましたけど…ガイロードさんは、冒険者だったんですか?」
先ほど中断された会話の中で思いついたことを、ルチルは口にする。
「そうっすよ」
あっさり肯定されるものの…ルチルが思い出すのは、物語に書いてあったような冒険者だけだ。
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ひょいひょいっと身軽に降りてくるルチルを見て、ガイロードは感嘆の声を上げる。
「お見事♪
こう言っちゃなんっすけど、結構身軽なんっすねぇ。弓と鞭が武器らしかったんで、そういう動作は苦手なのかと勝手に思ってやした」
「そうですか…?」
言われて、ルチルは小首を傾げる。
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とっさにバランスを戻そうとしたものの、そう上手くいくはずもなく。かろうじて枝に足を引っ掛けて転落は免れたが、ルチルはそのまま逆さ宙吊り状態となってしまった。
背中から転がるように地面に落ちたガイロードが逆向きで見えて…
「あんらぁ、アッシってお間抜けな感じっすねぇ」
その場で軽い口調と共にゴロゴロ揺れているのを見て、少なくとも重傷を負ってはいない、と、とりあえず安堵する。
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心の中でそう思いつつも、声にするのは別の言葉。
「はい。…実のところ、この学園に入ったのも、この左目のことを調べるため…っていうのもあるんですよね。
今のところは、まだよく分かってはいないんですが…気長に行くつもりです。ご心配、おかけしました…」
そして、今度こそちゃんとした微笑を浮かべる。
それからまた、数本の枝を固定して…
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文字を綴る手の動きは乱れることなく、紙に流麗な飾り文字を書いてゆく。横に置かれた普通の文字のそれを、飾り文字として清書することが、本日のルチルの課題だ。
「……っと、これで、おしまい!」
インクがにじまない様にそっと持ち上げて、もう一度目を通し、満足げに頷く。横に置かれた同様の飾り文字の群れを眺めて、ルチルは満足げに蒼の両眼を細めた。
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振った両手を納め、綺麗に蔓を仕分けて持ってきてくれた精獣たちに礼を言う。そして、微笑みを浮かべてガイロードを見た…と、自分では思っていた。
いや、実際に、その通りの表情をしていたのだけれども…
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ターフェアが、難しい気持ちで二人を見ていることなど知る由もなく、合間に雑談をはさみながら、作業は続く。
「芯が強い…ですか。確かにそうかもしれません。精神感応で伝わってくる意思は…いつも、まっすぐですから。でも…教えてくれたっていいのに、とも思います…。
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後ろでそんなやり取りが行われていたことなど知りもせず、ルチルは縄梯子を器用に登っていく。
「でも…あの説明で理解していただけるって…凄いです」
先ほどの、自分で考えても拙すぎる説明を思い返し、ルチルは落ち込み半分、感嘆半分、といった声を出す。
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鞭を縄梯子に変えて、はぅ、と、小さく息をついた瞬間…
「!? って、どういう鞭なんっすか? ターフェアさんって、確かアームメイトのブレスレットについていた名前でしたよねぇ?」
明らかに動揺したガイロードを見て、ルチルは思い出す。
そういえば…ターフェアについて、何も説明していなかったことを。
「あ…そういえば…」
(肝心なところで、抜けているのですから…)
ぽつりと響いた思念に、今度こそ呆れの色を感じ、ルチルは何も言えなくなる。
「えっと、ですね…」
かと言って、説明するのも大層難しい。ルチルは、傍らに置かれた藤の苗木に向かって、呼びかけた。
「ターフェアさん…出てきてください」
傍から見ると、苗木に話しかける変な人であろう。しかし…
(まったく…仕方がないですね)
珍しく、ターフェアがそれに応えた。
藤色の長い髪、同色の瞳。どこか異国風の衣装に身を包んだ半透明の女性が、ルチルの傍らに現れた。
「えっと…改めて紹介します。
彼女が『ターフェアさん』で…藤の木に宿る、精霊…ですか?そういう存在です」
(何ですか、その言い方は)
ターフェアの思念を流して、ルチルは続けて腕をまくる。いつもはそこにある藤蔓の腕輪がそこにはないことを見せた後、縄梯子を目で指して…
「それで、これは、元は腕輪だった藤の蔓で…ターフェアさんの一部です」
上手く説明できたかな? と、首を傾げ、ルチルはガイロードの返答を待った。
「なるほど…ようするに、ターフェアさんは藤の木の精霊で、今回植え替えるのがその本体。ルチル君が普段腕にしている藤蔓のブレスレットはターフェアさんの本体の一部で、ターフェアさんの力を借りる媒体になっている…ってな所っすか?」
(あら、凄いわ。ルチルのあの説明で、理解できるなんて…)
ターフェアの思念に、酷い、と思いはしたものの…確かにその通りである。ルチルはガイロードに小さく拍手を送りつつ、頷いた。
「そうです…。ブレスレットがあれば、ある程度はターフェアさんの力も借りられるんですけれども…本体から離れるには、時間制限があるみたいなんですよね…」
本来の目的はどこへやら、ついつい考え込みそうになるルチルに、ガイロードが声をかける。
「あ、遅くなる一方ですから、作業進めながらお話しやしょうや」
「…っと。そう、ですね…。じゃあ、始めましょうか…」
「っと、その前に」
慌てて縄梯子を登り始めるルチルの後ろで、ガイロードはターフェアに向き直る。
「ターフェアさん。先日ルチル君とお話させていただいた、ガイロードと申しやす。今日は引越しのお手伝い、させて下さいな」
まるで人間にするのと同じように、頭を下げて挨拶をするガイロードを見て…ターフェアは、淡く微笑んだ。
(こちらこそ、よろしくお願いしますね。
そして…ルチルと出会ってくれて…ありがとう)
そして、ターフェアはガイロードに一礼を返す。
この思念が届かないとわかっていても…ターフェアは、ガイロードにお礼を言いたかったのだ。
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マナが収束する…その感覚は、実はルチルも何となくわかる。魔法は使えないとはいえ、その方面の感覚だけは発達している…のだろうか? よく、わからない。
収束したマナから現れたのは…数羽の巨大な鳩。
「うわぁ…」
思わず声を上げたルチルに、ガイロードが説明をくれる。
「軍艦鳩っていう、ただ単に巨大な鳩なんっすけどね。簡単な指示ならいろいろとこなしてくれやす」
と、ルチルの手にあった蔓のうちの一本が、ひょいっととられる。
「さって皆さん、こういう蔓を集めてきて下さいな。…ヴェガ、陣頭指揮任せやすよん♪」
と、声をかけると、ガイロードの頭の上に座っていた三つ首の竜が「ギャウ!」と一声鳴く。
前に、紹介してもらったことがある…ガイロードのアームメイト、ヴェガだ。
ヴェガはガイロードの頭の上から駆け下りると、軍艦鳩たちを従えて蔓集めへと出発する。
「凄いなぁ…」
ルチルは、ぽつりと呟いた。
ガイロードのように、他者を召喚し戦うものを、ブリーダーという。
対して、ルチルはウォーリア。全てのクラスの技術を習得できる代わりに、特化された力には及ばない。
だから…なのだろうか? 彼に対して、ルチルが憧憬の念を覚えるのは…。
だとしたら……
「……っと。じゃあ、彼らが戻ってくるまでの間に…」
一瞬浮かんだ思いを振り切るように、ルチルは努めて明るい声を出す。
「出来るだけ、やっちゃいませんか?
向こうの木から渡してある枝は、粗方固定したので…こっちから」
そうして、一本の木を指差す。登りにくそうな木で作業をするため、ルチルは両手の内に鞭を出した。
「では、行きますよー…
せーのっ……はッ!」
まずは、左手の鞭を上に向かって放つ。それが絡みついた場所を確認して、その横めがけて右手の鞭を。
「おぉ~、お見事。すごい鞭裁きっすねぇ」
ガイロードの声援と拍手に微笑みで答えてから、鞭に触れて、呟く。
「ターフェアさん、縄梯子お願いします…」
(…本当に、人使いの荒いこと…)
呆れたような、苦笑したような気配。それと共に、二本の鞭は絡み合い、縄梯子となった。
その気配に対して…ルチルは微笑む。そして…
「では……始めましょうか?」
軽く縄梯子を引っ張って確認した後、ガイロードに向き直り、言った。
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「藤棚とかを作るんは初めてなんでちんぷんかんぷんなんっすけど、何から手伝やいいんすか? とりあえず指示くださいな。
って…しっかしまぁ、結構大きく作るんっすねぇ」
出来かけの藤棚を見ると、それはどうやらこの開けた場所一杯を使って作るようで…ガイロードは素直に感想を口にする。
「うーん…実は、これでも家の藤棚よりは大分小さいんですけど…」
支柱まで立てるのは到底無理、と判断した結果、その辺りにある木に枝や棒を渡しかけて…という作り方にしたせいで、確かにかなりの大きさになってしまった藤棚。実家のものは桁外れに大きかったとしても…これも確かに、大きい。
とはいえ…実家の藤棚から溢れそうなほどに大きかったターフェアを思うと、やはりこれでも少し小さい、と感じてしまう。
「って…大分小さいって、結構な大きさっすよ、これ」
「です……よね…。
回りの木に、枝とか棒とかを渡して固定してるんですけれども…なかなか終わらなくて…」
ルチルは、はぅ、と溜息をつく。本当は、もう少し形にしておきたかった…厚意で手伝ってくれるガイロードに、あまり肉体労働などさせたくなかったのだけれど…。
手にした蔓を握り締め、ルチルは少しだけ俯いた。…と、そんな心情を知ってか知らずか、ガイロードが明るく宣言する。
「まぁ、はじめやしょうか。木に固定していけばいいんっすね。その蔓で、固定してるんっすか?」
「あっ…はい」
「んー…蔓が少ないっすね…」
しばし辺りを見回した後、ガイロードが呟く。ルチルが、それに何か言葉を返そうとする、その前に…
パチンと、小さな音がした。
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月の光が、寮の窓から差し込む。…今日は満月。手にした雑記帳を読むには十分な明るさが、あった。
「御伽噺には、常に真実と…それを覆い隠す嘘が混じっている。これにも、また…」
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懐かしい、御伽噺を思い出した。
母が、一度だけ語ってくれた、御伽噺…。他に知る人はいなかった、不思議な御伽話だった。
そう、それは、こんな話…
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ガイロードと初めて出会ったのは、数日前の夜のこと。なんとなくお気に入りの場所となった、大噴水でのことだ。
飄々とした明るさと親しみやすさを持つガイロードは…一人っ子のルチルにとっては、『あこがれのお兄さん』といった感じが一番近いだろう。始めてあったはずなのに、いろいろと話せてしまったのには、後で自分自身驚いたくらいだ。
あの時の言葉に甘えて、本当に手紙を出してしまったけれど…本当に、来てくれた。ほんわりと胸が温まり、自然、笑顔が零れ落ちるのを感じる。こんな感覚は…初めて、のような気がする。
登った木から再び降る、その足取りと体の軽さに、改めて新鮮な驚きを感じながら…ルチルは、ガイロードの前に降り立った。
「こんにちは、ガイロードさん。
お言葉に甘えて手紙出してしまいましたけど…場所、判りにくくなかったですか?」
何しろ、自分が適当に歩いて見つけ出した場所だ。結構いい加減な地図しかつけれなかったことを思い出し、ルチルは不安になる。
「いえいえ、結構すんなりこれやしたよ。ああ、日当たりもよさそうっすねぇ。
そうそう、これ、おやつ代わりに持ってきやした」
人好きのする笑顔で言われ、ルチルは密かにほっと息をはく。何分、友人と何かをする、なんていうのは、初めての経験なのだ。
ほいっと差し出された袋を反射的に受け取り、中を覗き込む。と…そこにあったのは、少なくともこれまでルチルが見たことのなかったような、大きなお饅頭。
「うわぁ……大きなお饅頭……」
「アッシの好物、軍艦饅頭っていうんっすけどね」
その大きさに目を丸くしたルチルを見て、満足げに笑うガイロード。ルチルも思わずふわりと微笑んで、自分の今日の気まぐれに感謝した。
「ありがとうございます…。今日のお茶は緑茶なので、丁度いいですね」
コーヒーと紅茶を愛するルチルだが、その延長で、緑茶に黒茶に青茶にと、お茶類全般に結構幅広く手を出している。今日は、作業するから…と思い、後口さわやかな緑茶を持ってきたのだが…大正解だったようである。
でも、その前に……藤棚建設と、いかなければ。
本日のそもそもの目的となる、まだ出来かけの藤棚に目を移し…やっぱり枝が多かったかも、と思うルチルであった。
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何だかよく分からない理屈で、ターフェアが苗木サイズと化した次の日。ルチルは、この間見つけた、学園近くの森の中にいた。
…いや、実際は詳しく説明されたのだ。何か、時間の譲渡だの遡行馴化だの…専門用語らしきものの羅列で、はっきり言って、ルチルには全く意味は分からなかったが。とりあえず…
「ターフェアさん本体が引越しできるなら、まあいいか」
さらっと流して、済ますことにした。正直…魔法関係の理論の欠片も勉強していない今は、物理現象以外のことは流して済ますしかない、と…正直、ルチルはそう思っている。
そこら辺から拾い集めた木の枝や、実家から運んできた木の棒などを周りの木に渡しかけて、これもまた拾い集めた丈夫な蔓で固定していく。『彼』が来る前には、それなりに形にしておきたいなぁ…と思いつつ、それなりに手間はかかるものの、単純な作業を繰り返していく。ルチルの手元で、少しずつ、即席藤棚はそれらしい形になっていった。
意外に思われることも多いが、ルチルは手先が器用である。瞬発力に優れ、バランス感覚もよい。細身で小柄で筋肉もつきにくいが、決して非力ではないのだ。ただ…今まで、それを発揮する機会がなかっただけで。
それは即ち…合理的に勝利を追及する、ソリッドファイターとしての素質。穏やかに暮らすうちに、鈍って当然の才能。それが……なぜか、妙な方向に活用されている、とは思うが。
「……んっ…と……このくらい…かな?」
今また固定し終えた枝をぐいぐいと引っ張って、動かないことを確認すると、満足そうに手を離す。しかし…一息ついて顔を上げた途端、笑顔が固まった。
結構な本数の枝を、固定したと思っていた。思っていたのだが……現在の進行状況、約半分。
「えーっと……」
首をかしげ、ひょい、と木から降りる。
実家の藤棚よりは、小さく作ったつもりだったのだが……
「もしかして……枝、多すぎた…かな?」
首をかしげ、しばらく悩むが…ここまで形にしたものを解体するほうが手間がかかる。再び木に登って、うにうにと手を動かし始めた、その時…
「あ……」
「いたいた。ルチル君おこぉんにちわ♪ お手伝いにきやしたよん」
手紙と…大きな袋片手にやってきた『彼』-ガイロードが、木の下から手を振った。
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「どうしようか…?」
実家の裏庭のターフェアの木の前で、ルチルは本気で悩んでいた。
「ターフェアさんの株分けって、できるんだろうか……」
…こんな悩みでも、一応真剣そのものなのである。
発端は…考えてみれば当たり前な事実から、だった。
ターフェアの本体は、大きな藤の木である。樹齢にしてみれば、数百年…それに見合うだけの大きさがある木を、一体どうやって植え替えるつもりだったのか…我ながら無茶だ、と、ルチルは肩を落とす。
「本体は、大きすぎて無理ですよ…何とかなりませんか? ターフェアさん…」
はぅ、と溜息をついて、ルチルはターフェアに語りかける。
(簡単に言ってくれること…)
呆れたような思念は、しかし……ルチルに届くことはない。ルビーレイの封印を維持するのに、かなりの力を裂いているため、簡単な意思の疎通すらままならない始末…。自分の力にそれなりの自信のあったターフェアにとっては、この事態はかなり悔しいものであった。
(ですが、まあ……ルチルの傍に居続けるためですものね。仕方がないわ)
と、少し思念の力を強め、ルチルに語りかけた。
(では、縮みます。ルチル、私の幹に手を当てて、目を閉じて下さいな)
今度は、ちゃんと意志が伝わったようだ。首を傾げながらも、ルチルは目を閉じて幹にそっと触れる。
「……って、縮む?」
ルチルが呟いた、次の瞬間、手のひらから伝わる感触が消える。驚いて目を開いてみると……そこにあるのは、苗木に丁度いいサイズの藤。
(これで、いいかしら?)
何となく楽しそうな思念が、ルチルに伝わって……
「たっ……ターフェアさん~っ!?」
素っ頓狂なルチルの悲鳴が、アーウィン家に木霊した。
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真綿の檻に包まれて、外の世界を夢見る雛と。
閉ざされた平穏を破って、外の世界に飛び立つ雛と。
幸せなのは、一体どっち?
傷ついてでも羽ばたくことを選んで、傷を隠して微笑む小鳥。
その小さな翼を休める、温かい宿を手に入れて…
今は痛むその羽は、乗り越えた時には、きっと、もっと強く。
新しい風を、掴むでしょう…
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スタークロス学園。グリーン大陸最大の都市・テラの郊外に位置する、巨大な学園。
その中で、ルチルは今……迷っていた。
「ここは…森、だし…建物は、一体……」
数日間うろついたことはうろついたのだが、見て回れた箇所は悲しいほどに少ない。その度に迷っては…偶然出会った優しい人に助けて貰ったり、迷路必勝法の如く、そこら辺の壁に片手を着いて、見覚えのある場所に出るまで放浪したり…といった感じで、学校にいる時間自体は結構長い気がする。
森の中を彷徨って、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、当てがあるようでない歩みは続く。その結果、最終的にどこにいるかもよく分からなくなるのだが…それでも、ルチルは思う。
自分は、断じて方向音痴ではない…と。
一度行った場所には迷わずに行けるし、地図を一目見れば、現在地から目的地まで、間違うことなくたどり着けるのだから。……ただ、未知の場所に弱いだけで。
それに……ふらふら彷徨うことは、案外面白いのだ、と、知ってしまったから。
家の中にいるときは、味わえなかったこの感覚が…今は、何とも心地よい。そして…たまには、いい事もある。
「うわぁ……」
今日、出た場所は、森の中でも、少し開けた場所。絶妙のバランスで日差しが降り注ぐ、何とも心地よい場所だった。
「ここに…ターフェアさんに引っ越してもらうとか……出来るかな?」
ぽつりと、呟く。
近場に木を植え替えよう…とは、前から考えていたのだが…どうせなら、気持ちいい場所のほうがいいではないか。
「よし…!場所は決まった、けど……さて、ここからどうしよう……?」
結局、見覚えのある場所に出るまでにかなりの時間を要し……しかも、何時の間にやら学園の外に出てしまっていた、と知るのは、もう少し後の話。
知り合いになった『彼』の手を借りて、その場にターフェアの木を植え替えるまで…あと、数日。
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その後のルチルの行動は、素早かった。庭にある離れ、という名の小屋に必要なものを運び込み、当座の住処とすると、次の日のうちには学園に赴き、入学手続きを行う。正式に学園の生徒となるまでにかかった時間は、3日足らず…。
そして、アーウィン家に、一応の静寂が戻った。
重い体を引きずって、キュレットは窓際から、庭を眺める。そこを駆け回っていた息子の姿は…今はもう、どこにも見当たらない。
「キュレット…」
「あなた………。わたし、は…」
沈黙を破り、フォスフィルとキュレットは寄り添って窓の外を見る。
「いつか…お前の中で、整理がついたときでいいから…。あの子に、話してあげなさい」
「でも…」
「大丈夫」
フォスフィルは穏やかに…しかし、はっきりと言う。
「あの子は、ルチルだ。『ルチル=アーウィン』であることを、忘れなければ…あの子が呑まれることはないよ」
不安そうに瞳を曇らせるキュレットを、なだめるようにそう言って…フォスフィルは、再び窓の外を見る。
誰もが、待っている。お前が再び、ここに帰ってくる日を。
全てを乗り越えていくことを選んだのなら…その行く道で、この家が癒しの場となってくれることを…願う。
父として、母として、そして、その傍らに立つものとして………。
揺り籠のように温かくて優しい世界から飛び出した雛は、広い空で何を知るのだろう?
悲しみや苦しみに満ちた旅路になるのかもしれない。しかし、そこにはきっと、今まで知りえなかった喜びや楽しみも存在している。
そして、その果てで手に入れた真実は、決して揺るがぬ、お前だけのものだ。
お前は、変わっていくだろうが…その芯は変わらないと、私たちは信じている。
だから…お前が、お前として、ここに戻ってくる日まで。その日まで、どうか…
ルチル=アーウィン。忘れないでほしい。君は、確かに必要とされているのだということを……
【 揺籃世界は目覚めを告げて 完 】
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『あの日』から、数ヶ月がたった、ある日のこと。とある、嵐の夜だった。
ルチルの母、キュレットが倒れた。その最たる理由は、極度の衰弱。それを引き起こしたのは……心労、であった。
「母さん……」
ルチルは、暗い部屋の中で、独り座り込んでいた。時折闇を裂く雷光が、部屋を照らし出すものの…全体の暗闇が、拭われることはない。
暗い中、鏡面に似たガラス窓に移りこむ、自分の姿。数ヶ月前の『あの日』以来、左目は赤いまま。どれほど探そうとも解決策を見つけられぬまま、今日この日まで来てしまった。けれど……
「もう…どうでもいい、って、言ってられないよ……」
ゆらりと身を起こし、ドアを押し開け外へ出る。
今日は、父も家の中にいる……。喧騒止まぬ母の部屋には近づかないような道を通って、ルチルは静かに歩みを進めた。
* * *
ガラス戸を打つ雨の音。重くのしかかる遠雷の声。騒がしいほどではないとはいえ、ノックの音はそれにかき消されたのか。
一瞬、ガラス戸に移りこんだ姿を見るまで、息子が部屋に入ってきたのがわからなかった。
「父さん……お話があります」
普段はどこかのほほんとした息子が醸し出す硬質な雰囲気に、ルチルの父…フォスフィルは、ルチルに向き直った。
「…何だ?」
「どこかに、全寮制の学校はありませんか? ……僕は、この家を出ます」
驚きは、なかった。いつかこうなるだろうと、どこかで予測していた…そんな気もする。この子の目が赤く染まり…妻が、震える声で『とある事』を告げた、その時から。
「それは、おまえ自身の意思なのか? ルチルよ」
重々しいフォスフィルの言葉に、ルチルはただ頷きを返す。フォスフィルは…深く、息を吐き出した。
「一応、聞いておこう。今現在、お前に不自由をさせているつもりはない。学問も…今の家庭教師に、不満があるのか?」
「何も。僕は、何も不満になど思っていませんよ。でも……。
…母さんが、ああなったのは………僕が…僕の、この赤い目が、原因ですね」
それは、疑問ではなく、断定。
「母さんは、この目を見るたびに、なんと言うか…悲しそうな顔をするんです。正直、僕自身は、特に困ったこともないし、このままでもいいんですけど……これのせいで悲しむ人がいるなら、それは嫌だと思います」
「それで、家を出る…と?」
無言で頷くルチル。
「本当は、大陸中…いえ、世界中でも探し回って、この目を戻す方法を探せればいいんですけど…生憎と、僕にはそこまでの力も知識もありませんからね。ならば、手っ取り早く、知識の集まる場所に…学校に行こうと思うことが、不自然なことでしょうか?」
フォスフィルは、改めて息子に向き直る。
「自宅から通う、ということは考えなかったのか?」
「考えましたよ。でも…母さんの状態を見る限り、どうやら僕は、しばらく顔をあわせないほうがいいみたいですからね。まあ…庭の藤の木を連れて行きたいので、植え替えが終わるまでは…どうしたって、自宅通いになるとは思いますが。それでも、本宅には入らないつもりです」
さらりと言い放つルチルに、フォスフィルは息子の覚悟の深さを見た気がした。
外に出さなかったのは、母がそれを望まなかったから、だが……それでも、不自由はないと思っていた。その性情ゆえか、孤独に歪むこともなく、選民思想にとらわれるでもなく…まっすぐに、真っ白に育った息子。だが…外に出すべきときが、来たのかもしれない。
「この大陸で最大の都市テラの…その郊外に、スタークロス学園という学校がある。年齢層は広く、学べる分野も多彩…全寮制だが、事情があれば自宅通学も許可されている」
「スタークロス学園、ですか…。聞いたことはありますね」
ぽつりと呟き、ルチルは父に一礼した。
「では、僕はそこへ通うことにしましょう。いつか、この目が戻るときまで…父さんも、お元気で」
そのまま、身を翻して立ち去ろうとした、その背後に…声が、かけられた。
「ルチル…母さんの現状は、確かにその目によって引き起こされたこと。しかし……例え、その目が戻ることがなくとも、ここは、お前の家だ。いつでも、帰ってくるといい」
ルチルは立ち止まり……歪に微笑んだ。
「やだなぁ……あまりそういうこと言われると…出て行きづらくなっちゃうじゃないですか…」
そして、今度こそ歩き出す。扉を押し開けて、その奥の闇に入る、その前に……
「………いってきます」
ぽつりと、呟いて。ルチルは扉を閉めた。
「ああ、いっておいで…私たちの『ルチル=アーウィン』」
扉に阻まれて、声は届かなかっただろうけど…言葉に込められた温もりは、確かにルチルに伝わっている…。
フォスフィルは一人、祈るように手を組んだ。
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その後の日々は、表面上は平和に過ぎていく。
『あの日』以来、母と顔をあわせることは滅多になくなったが…父は相変わらずの仕事三昧、ルチル自身も、裏庭での特訓がスケジュールに組み込まれた以外は、変わらぬ毎日を送っていた。
足元には、数冊の本。弓の教本を見ながら、ルチルはターフェアの蔓を弓に変化させ、構えを試していた。
「…っと、こんな、感じ……ぁっ…!!」
びぃん、と音がして、弦が弾け、ルチルの手を打つ。ばしっという痛そうな音がして、弓を取り落としたルチルは、ひりひりと痛む手を押さえ、屈みこんだ。
「うー……難しいよぅ…」
弓を構える立ち姿はなかなか様になっているものの、どうにも安定がよろしくない…と、密かにターフェアは思う。ただ、今のターフェアには、それを伝える手段がないだけで…。
びしばしと、何度も何度も手を打つルチルを見るに見かねて、何とか止めなければ、と思うが……
「うーん……ねぇ、ターフェアさん。この弓、もう少し小さく出来ない?」
それより先に、ルチルがぽつりと呟いた。抑揚のないその声に、疑問を覚えたものの……ターフェアは即座に応じて、ロングボウサイズの弓を、ショートボウ程度の大きさにする。
と……今度こそ、ルチルはそれを綺麗に構えて見せた。
「矢も、お願い…」
右手に乗った鏃に蔓を絡め、一本の矢が作られる。と…
「うん、こんな感じ。これくらいが………」
一呼吸で矢を番えて引き絞り…狙いをつけて、放つ。
「ちょうどいい」
ぽつり、と呟かれた一言。それと同時に…手製の的の、その中央に、矢は鮮やかに吸い込まれた。
トン、と、澄んだ命中音。見事に突き立った、一本の矢。
「弓が、僕の体格には、ちょっと大きすぎたんだね。だから、それに振り回されてた、ってわけだ。まあ、矢を実際射るのは初めてだったけど……これなら上出来じゃないかな?」
(ルチル……)
どこか虚ろに言葉を紡ぎ続けるルチル。それが、何とも恐ろしくて……
(ルチル!!)
ターフェアの、強烈な思念。ルチルはびくりと体を震わせて…
「わっ!!……ターフェアさん、いきなり何なんだよ……。
あー、びっくりした……」
はぅ、と溜息をつくルチルは、普段と特に変わった様子もなく。しかし……
(あなたが言っていたのは…このことなのですか? ルビーレイ……)
その、冷静な思考に。初めて手に取った武器を使いこなす戦闘センスに……ターフェアが危惧を抱いたことを、ルチルは知らない。
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雲ひとつない、澄んだ夜だった。
『彼』が、ルチルの母、キュレットの元を訪れた、その直後…『彼』は、小さく舌打ちをした。
「忌々しい、藤めが…」
『彼』は、ルチルの部屋のバルコニーから藤の木を見下ろし、吐き捨てる。
「いるのだろう? 藤の精」
その呼びかけに、藤の精…ターフェアは、姿を現す。
(あなたは…)
「心話はお断りだ。話せるのだろう?」
しばしの沈黙。ターフェアはふと息をつき、口を開いた。
「……これはこれで、疲れるのですよ。 ……あなたは誰です?」
「見て分からないか? ルチルだよ」
『彼』…自称ルチルは、尊大に言い放つ。ターフェアは悲しげに俯き、首を横に振った。
「確かに、その体はルチルのもの。しかし…『あなた』は、ルチルではない」
自称ルチルは、馬鹿馬鹿しい、とばかりに鼻を鳴らす。
「お前たちの知るルチルではないから、違うという。ならば、最初からこの口調、この性格だったのなら…お前たちは何疑うこともなく、この『俺』をルチルと呼んでいたのだろう?」
「それは詭弁に過ぎません」
「詭弁だな。だが、真実だ。
俺は、ルチルだよ。本来『ルチル』になるはずだったもの。それを……お前が、封じた」
ターフェアは…否定せず、言った。
「災いの種子は、早いうちに消すが得策でしょう?」
「しかし、俺はここにいる。お前は失敗したんだよ」
「……そうでしょうか?」
「何!?」
ターフェアの細い腕が、自称ルチルの胸に触れる。
「ルビーレイ=ルチル=ペンデローク。それが、あなたの本名ですね?
私は、あなたと契約します。そして…あなたを苗床に、ルチル=アーウィンの力となりましょう」
自称ルチル…ルビーレイの顔が、初めて驚愕に引きつった。
「お前…まさか、そのために『ルチル』に名を…!?」
ターフェアがほのかに微笑んだのを見て、ルビーレイは憎らしげに呟く。
「道理で…不動のはずのお前が、ルチルに名をつけさせたのは……俺を消すためか!?」
「ええ…。ルチルが私を『ターフェア』と呼ぶ限り、私はあなたの力を還元しルチルの力となる。そして…いつかあなたが消えるまで、この契約は続きます」
ルビーレイの胸に触れた手に淡い光が灯り、同時にルビーレイの瞳が虚ろになってゆく。
力が、吸われていく……寒気をもたらすようなその感覚の中で……ルビーレイは、哂った。
「俺を消す……か。
藤の木、お前はやっぱり、失敗してるよ」
「負け惜しみを……」
「負け惜しみだと思うなら、それでもいいさ。
だが……あいつが、全てを知ったとき………」
ふと、意味ありげな笑みを浮かべて…ルビーレイ-ルチルの体から力が抜ける。
その体を支えようと、ターフェアは手を伸ばすが……その手をすり抜けて、ルチルの体は床に倒れこむ。
(実体化が……! 予想以上に、封印に力を取られた、ということですか)
半透明の自らを見下ろして、ターフェアは息をつく。
(ルチル…風邪など引かなければいいのですが…)
今は何にも触れられない自分に、少々苛立ちながら、ターフェアは本体の木の本へと帰る。
(しかし……ルビーレイの最後の言葉…ただの負け惜しみでは、ないのですか…?)
月明かりを浴びて佇む藤は、そう思ったきり、意識を閉ざした。
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軽く朝食をとってそのまま、一直線に裏庭までやってきたルチルは、大きな藤の木にもたれて、もはや癖となってしまった溜息をつく。
「はぅ…。母さんはあんな風になっちゃうし、父さんはだんまりだし…一体、この目は何なんだろう…?
ターフェアさん、知ってる?」
傍らの木に重なるように存在する女性を見上げ、ルチルは首を傾げる。
彼女…ターフェアは、この藤に宿る精霊…らしい。ルチルは彼女のことを詳しく知らないし、知ろうとも思わない。『ターフェア』という名前も、ルチルがつけたものだ。
「そうか…やっぱり、知らないよね…?
この間熱出した後遺症、ってやつなのかな?でもなぁ…」
考え込み、ぶつぶつ呟くルチルを眺めて…ターフェアは、複雑そうに微笑む。
(どうか、知らないままで…)
そのか細い思念が、ルチルに届くことはない。
ルチルの容姿は、少々変わっている。
少女めいた顔立ちや、ショートカットの黒髪はともかく、右目は鮮やかな蒼、左は血のような赤というオッドアイは、何とも人目を引くものであろう。
とはいえ…先天的なものならば、意識はしなかったはずだ。これが自分、と思うだけなのだから。しかし…ルチルの左目は、本来右目と同じ蒼であったはずなのだ。
それが、唐突に変わったのは数ヶ月前…高熱を出して倒れた、その後だった。
「あの時のことを思い出そうにも…熱で朦朧としてたことしか覚えてないし……お医者様にも、異常はないって言われたし…時々痛むけど、すぐ収まるし…」
本当に何なんだ、と首をかしげて、ルチルはもう一度、はぅ、と溜息をつく。
「悩んでも、仕方ない……ってこと、なんだろうね…。
まあいいや。…ターフェアさん、また特訓、付き合ってよ」
今日もまた答えは出ず、結局諦めてターフェアに声をかける。
彼女からもらった藤蔓のブレスレットが蠢き伸びて、鞭となったのを見届けて…ルチルは、裏庭の奥へと走り出した。
そんなルチルと共に在りつつ、意識のみは木の本に残して、ターフェアはその後姿を見ている。
(力を求めること…それが、『彼』を抑えることになるのか、解放することになるのか…。
『ルビーレイ』に呑まれなければ、いいのですけど……)
思い出すのは、数ヶ月前の夜。藤の木が、『ターフェア』の名を貰った…その日の晩のことだ。
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「逃げられると、思っていたのか?」
息を呑む引きつった音が、喉から漏れる。
目の前に立つ少年が、愛しい我が子であると、理解はしている。なのに…体は勝手に震え、恐怖が彼女の心を縛る。
「逃げられると…本気で、思っていたのか? その身に流れる血脈から。なあ、キュレット=アーウィン…いや、イオナ=キュレット=ペンデローク」
少年が一歩、彼女に近づく。それから遠ざかるべく、彼女はあとじさる…が。
とん、と、固い感触。壁に背を擦り付けて、それでもなお、目の前の恐怖から逃れようと、目を閉じて…。
「忘れるな」
耳元で、少年の声がした。記憶にある無垢な声と同じ…しかし、その中にぞっとするほどの冷たさと…甘さを孕んだ、声。
「お前も……そして、この身にも、紅涙の血脈は受け継がれていることを…」
恐怖に、思わず目を見開き…そこにあったのは…
「ルチル…その、左目は……」
かすれた声で、何とか言葉を紡ぎだす。
少年-ルチルは、哂った。
「何を驚く? 見慣れたものだろう」
真紅に染まった、その左目を、誇らしげに曝して……哂った。
* * *
日は高くもなく低くもなく。朝と言うにはやや遅めの時間帯。カーテンを引かれた薄暗い部屋の中、ルチルはもそもそと起き出して目を擦った。今だ離れがたいベッドに未練を残しつつ、ふらふらとカーテンに歩み寄り、一気に開ける。燦々と降り注ぐ光に洗われて、ルチルは、うにっと背伸びをした。
「はふ…おはようございます……」
(おはよう、ルチル)
言葉にするなら、そういった意味合いの思考が返ってくるが、別に驚きもせず、ルチルは寝ぼけ眼で微笑む。
「おはようございます、ターフェアさん。今日もいい天気ですね」
窓を開けて、素足のままバルコニーに出る。下にある裏庭を半分は埋め尽くしている藤の木に向かって手を振って、ルチルはしばらくそのまま風に当たっていた。
ルチル=アーウィン。それなりに成功を収めている宝石商、フォスフィル=アーウィンの一人息子である。対外的には『病弱』ということになっているらしく、外にはめったに出ないが、それを疑問に思うこともなく、優しい両親の元で暮らしていた…はず、だった。
そっとドアを押し開き、廊下を進んだ先。閉ざされた扉の前で、ルチルは足を止める。
「母さん…おはよう」
びくり、と、気配が揺れた。
ためらうような足音の後、そっと扉が開かれる。
「………おはよう、ルチル…」
青白い、やつれた顔が一瞬顔を出して、また引っ込む。
ルチルは、はぅ、と溜息をつき、左目を押さえた。
「やっぱり……これのせい、なのかな…?」
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古いポートレートに刻まれたのは、過ぎた日の温かな思い出。 一度砕けた幸せは、同じ形に戻りはしないけれど… それでも、再びの笑顔を願うことは、罪ではないはずだ。 小さな世界の殻を壊して、その向こうにある『真実』を探しに行こう。 永いまどろみに、別れを告げて…
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